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テレまめ

ドタバタしているうちに、先月、誕生日を迎えましてね。所謂「大台」でして、いつの間にか織田信長が年下(爆)。かつては「すぐ昔話をする年寄りにはなるまい」と思っていましたが、実際のところ、目まぐるしい直近よりも、記憶によみがえるのは昭和時代のことばかり。(^^ゞ

テレビ番組は、基本的には30分か1時間枠が普通でした。「2時間ドラマ」というジャンルが出来たのは昭和の終わりころではありましたが、通常の連続ドラマが「初回時間拡大!」などという対応はまったくなく、文字通りの「枠」がきっちりしていたテレビ欄でした。

最近は、初回や最終回を拡大しつつも、逆に1クール(3か月)の枠は崩しませんが、昭和には「全30話」や「全50話」なんてドラマもざらにありましたし、「太陽にほえろ!」はパート1だけでも休みなく14年続きました。現在にもある「相棒」や「渡鬼」のように、インターバルを置きながら何度かシリーズが続くパターンは「西部警察」などが先輩ですね。

今期は「日曜劇場」が「おやじの背中」と題して、1話完結のドラマを制作しましたが、かつては「東芝日曜劇場」として、1話完結のドラマを37年に渡って放送していた時間枠でした。一社提供から複数提供に変わって「東芝」のカンムリは取れましたが、昭和時代の一社提供番組は、番組が始まる前にその企業のテーマ曲が流れるのも恒例でした。

しかもどれもが「光る光る東芝回る回る東芝♪」「明るいナショナル明るいナショナル♪」「ロートロートロート、ロート製薬♪」「ブラザー、ブラザー♪」と、企業名連呼型なのが素朴な感じでしたね。

バラエティ番組は、ハプニング頼みではない台本通りの進行。まぁこれは今でも「○○がスタジオ乱入!」「怒った○○がブチギレ!」が台本に書かれてある予定の行動だったりもするんですけども(笑)。

歌手がゲストに出る時には、番組の中で1コーラスだけでも確実に歌うコーナーが設けられていました。1時間のモノマネ番組ならば前半は持ち歌、番組後半がモノマネ。しかもモノマネ番組にモノマネタレントは出ず、普通の歌手がかくし芸的にモノマネを競う形式でした。

そしてテレビは夜の12時ころには放送を終了するものでした。クロージング画面が終了すると、当時はアナログ放送ですから画面は「砂嵐」と呼ばれるノイズだけになり、これが長時間の視聴には耐えられないものだった(そもそも視聴するものではナイ)ので、「砂嵐の画面を見続けると…」といった、都市伝説のネタになったりもしましたね。

あのころに戻りたいとは言いませんが、懐かしい思い出はと、記憶の中でしみじみ味わってみたくなる、なんとなくホロ甘いものなのだと実感する歳になったさっちゃんなのでした。

※元記事:コラム「さっちゃんはね、テレビが大好きホントだよ♪」(テレビる毎日公式メルマガ[週刊・テレビる毎日]第706号)

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