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テレまめ

少し前から、とても好きなCMがありまして。

列車の座席に座る60代ほどのふたりの女性。ひとりの女性はとても不安そうな表情。それを見たもうひとりの女性は心配して声をかけます。

「主人を残して一人旅なんて初めてで…」
「私は、今から旦那のところへ。6年ぶり」

話をしながらふたりの表情がほぐれた頃、発車を告げるベルが聞こえます。

「出発だわ」
「…はい。」

ふたりはどちらともなく、車窓の外へ眼差しを向けます。そこへ映し出される文字は、

『いい旅立ちを。』

そこで、見ている者はその旅とは「死出の旅」だということを悟るのです。

これは、村田葬儀社という葬儀会社のCM。あまりの秀作のため、後になってから気がついたのですが、村田葬儀社さんは愛媛県松山市にある会社であり、つまりこのCMはローカルCMだったのです。

このCM、男性編もあって、こちらはお互いの孫のことを話しているうちに発車のベルが…というもので、ラストは同じく『いい旅立ちを。』で締められます。

女声の静かな独唱のBGMにのせて、とても静かな気持ちになるのは、送られる人はこんな気持ちになっているのかな、と想像できるからなのかもしれません。動画検索などで視聴可能だと思いますので、ぜひ見ていただきたい。

逆に、ちょいと「んっ?」という感じを憶えるCMがありまして。

某保険会社のCMで、夫婦が営む温泉旅館に外国人の家族がやってくるものの、意思の疎通がちぐはぐになって…というもの。

CMコンセプトとしては「外国人家族との交流を通じて…」とあるのですが、外国人の要求を自分勝手に解釈してしまう宿主と、外国でも自国語で押し通す客一家の、お互いに歩み寄らない状態を「交流」とは思えなくて、どうしてもユーモラスとは受け取れない気がするからです。

相手の気持ちを慮る態度に、なんとなく差が出てしまった二社のCM。もちろん、あくまでも個人的な意見とさせてください。

※元記事:コラム「さっちゃんはね、テレビが大好きホントだよ♪」(テレビる毎日公式メルマガ[週刊・テレビる毎日]第883号)

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    • 匿名
    • 2018年 10月 03日

    病気の親がいるので、
    最低のcm

    • 2018年 10月 25日

    村田葬儀社のCMが秀作???
    そもそも、葬儀社がCMを出すこと自体ナンセンスで嫌らしい。
    いわゆる「人の死の奪い合い」である。
    上っ面でいくら安らぎをPRしようが、本音は金儲けであり、この高齢化社会による大勢の人の死をビッグビジネスチャンスとして、CMを出してでも人の死を競い合って奪い取り、大儲けするぞといった意思表示を宣言しているようなものである。しかもできるだけ利用者には感ずかれないように。
    よって会社自体に嫌らしさのみを感じるのである。
    本来、葬儀社は地元に根付いているものであり、PRをしなくても自然の流れでおのずと遺族が利用するもので、CMの必要は全く必要ないものである。
    おそらくCMの広告費用は遺族が支払う利用料に跳ね返ってきていることは言わずと知れたこと。本当にやさしい葬儀社であれば、無駄な経費をなくし、できるだけ低廉な価格で提供することではないのか?
    ああ、いやらしい。

    • 匿名
    • 2018年 10月 25日

    思いやるCMについて
    葬儀社のCMを出すということは、この高齢化社会で限られた人数の死亡者を奪い合ってでも金儲けしたいといった意思宣言です。
    思いやるどころか、「不快な思い、嫌らしさ」しか感じられない。

    • 思いやru?
    • 2018年 10月 30日

    葬儀社のCMは、仮に余命を告げられた方がこのCMを見た場合、どう思うだろうか?
    安らかで思いやりのあるCMとして映るだろうか。
    まだ死にたくない、生きたいと思うなかで、日々懸命に闘病している方にとっては絶対に見たくないCMであり、冷酷でデリカシーに欠け思いやりのない、演出でごまかされた無責任なCMです。
    演技者と音楽により表面上は安らぎを演出しているが、送られる側の気持ちをもて遊ぶ冷たさしか感じられないもの。嫌いです。
    一方、保険会社のCMは、東京五輪が近づくにつれ普段は慣れない外国人に対し、高齢者夫婦がギクシャク失敗しながらも一生懸命もてなそうとする姿には人間味と温かみが感じられます。過大な表現はコメディとして違和感なく、全体に好感がもてます。

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